top of page

メルマガvol.147 吉原遊廓の無料案内所「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」を見て

大河ドラマのキャプション
大河ドラマのキャプション

このドラマを見て、わたしたちは意気消沈し、頭を抱えてしまいました。

ぱっぷすは、毎日、性的搾取の加害者とたたかっています。

毎日が戦争状態です。


江戸時代、遊女は吉原遊廓で長く生きたとしても平均寿命22.7歳でした。日本の負の歴史である吉原遊廓で行われてきた児童買春や性売買を肯定・推奨するドラマをなぜ大河の時間帯で放送しなければならないのでしょうか?


その吉原遊廓は、人身売買と性的搾取の場所です。遊女が産んだ子どもたちは、幼い頃から娼家の禿(かむろ)として下働き。そこで、その子どもたちは、買春者や娼家から遊女が受ける性暴力を見せつけられ、時には虐待を受けながら、「性を売ることでしかこの廓(くるわ)から出られない」と学習させられた事実はドラマを見た人には伝わっていましたでしょうか。



オランダ人のヨハネス・ポンペは『ポンペ日本滞在見聞記』の中で、「ヨーロッパでは個人が自分で売春する(中略)。日本ではまったく本人の罪ではない。大部分はまだ自分の運命について何も知らない年齢で、早くも売られていくのが普通なのである」と記していることは、ぱっぷすのような支援団体ではよく知られています。

ヨハネス・ポンぺ写真(Wikipediaより)
ヨハネス・ポンぺ写真(Wikipediaより)

当時の吉原遊廓では、廓の中で生まれたり、売られてきた少女たちは、幼いほど性的に価値があることを、吉原での下働きを通じて体験的に学ばされます。そして13歳になると、「水揚げ」と称して性を買う捕食者の餌食にされる運命はドラマから見てとれましたでしょうか。

「鳥屋(とや)につく」「鳥屋の女」という言い方があります。これは江戸時代に吉原で使われていた言葉、「鳥屋につく」とは梅毒にかかることを意味します。当時、梅毒には有効な治療法がなく、死に至る病でした。遊女が梅毒にかかると、「三週三ヶ月三年」と言われ、三週間で発疹が出て、その後は潜伏期に入ります。三カ月を過ぎると肌が白くなり、少しずつ髪の毛が抜け落ちていきます。三年以内に多くの遊女が衰弱して亡くなります。

「若い遊女がしおれていく様子が美しい」という皮肉な表現まで生まれるほどです。実際には、多くの遊女は10代で梅毒にかかり、過酷な運命をたどるのです。


『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』第1話では、綾瀬はるかさんが吉原遊廓について解説をしていました。その内容は、まるで有名テーマパークの紹介で、政府公認の出入り口が一つしかない門をくぐると、華やかな場所として描かれ、本来、遊女たちが逃げ出せないようにするためなのに、このドラマでは「男が女と遊ぶ街、幕府公認、江戸唯一の天下御免の色里です」と説明されていました。


これまでぱっぷすでは、例えば14歳で児童買春の犠牲となり、心身の回復力を奪われた相談者や18歳になると性の売買に従事せざるを得ないという現状を数多く伴走してきました。児童買春や性売買に関する表現で、“かわいくて”“清純”な女性が、性的には清純でなくなり、打ちしおれていく様子は、愉快で美しいものとして日本では扱われます。

制作者側は、安易に視聴率を稼ぐため、「吉原遊廓」の問題を美化して取り上げたにすぎないと思います。


子役に対する配慮のなさ

子役に対する配慮が十分に見えず、吉原に使い古された女性が裸のまま打ち捨てられる場面があり、それを子どもが見つめるシーンでは、子役は直接裸を目にしない配慮をしたり別撮りで合成されていればよかったのですが、番宣インタビュー記事では、無邪気に(裸の女性に対し)「あの人たちはギャラあるの?」と子役が質問したことが掲載されていました。


NHKより引用(裸の部位は墨消済)
NHKより引用(裸の部位は墨消済)

あの場面、女優に演じさせるのはまずいような演出を、“AV女優”を起用し、彼女たちを持ち上げ出演させたことは、違法なAVスカウトがよくやっていることと同じです。


ぱっぷすに寄せられる相談では、当時は同意して撮影現場に行ったが、数年後、ライフスタイルが変わり消してほしいと依頼を受け削除要請したら、制作サイドが困らないようにするには一体どんな契約をしたのでしょうか。


制作サイドは、子役やその事務所・監督・親に対して、吉原遊廓についてどのように説明していたのでしょうか。子役たちも台本を読んでいるため、ある程度理解しているは悲しい限りです。今後、彼らの将来にどのような影響を与えるのか懸念されます。また、この作品を視聴する子どもたちに対して、この状況をどのように説明すればよいのでしょうか。出演した子役に対して長期の心のケアをしなければなりません。


あの場面は人形で表現する方法は考えられなかったのでしょうか?


ぱっぷすでは、AV出演被害に関する相談を受けつけています。


今後は「AV女優も大河ドラマに出演したけれど、身バレしなかったよ」などとだましの手口でAVに出演させようとするスカウトの出現の可能性も考えられます。


インティマシー・コーディネーター

アメリカ映画でのレイティングシステム(年齢制限)は、全年齢対象の場合、基本的にヌードは不可であり、臀部(お尻)を映してはいけません。監督たちは演出に限りがでるため表現に苦労しています。

配役募集の際に今では「インティマシー・コーディネーターが入ります」という一文を付けて募集が行われています。


募集要項には性的描写の必要性は書かれていません。多くの役者はインテマシーコーディネーターがいるから安心と信じるしかないわけです。


「べらぼう」では、遊廓で行われていた人権侵害を訴える内容ではなく、江戸時代のエンターテイメントの一部として遊園地の出来事のように描かれていました。正当な理由すらもなかったのです


これまでも、今回も、吉原遊廓の女性は、“はかない”“悲劇のヒロイン” “性欲が強い”という3点で描かれてきました。少しでも遊廓の歴史問題を勉強していたり知識をもっている役者は、選考の際、演出の狙いとは異なる“怒り”や“くやしさ”を込めた演技をすれば落選したでしょう。役者の中でもそのことに気づいていない人も多く、たとえ気づいていても仕事を得るために求められる演技をせざるを得ない役者も多いのではないかと思います。


人身売買を矮小化

大河ドラマでは、女性の着物は絢爛豪華(けんらんごうか)がお約束ですが、「べらぼう」は、そのお約束場面を人身売買のシーンでやっています。格子の飾り窓で美しい着物の女性を一列に並ばせて。そこで蔦谷重三郎(横浜流星さん)が「誰も好んで来たい女性はいないんだ」とカッコよく言いましたが人身売買への言い訳をしているに過ぎません。問題を意図的に薄めて伝える表現になっています。

さらに田沼意次(渡辺謙さん)とのやりとりで蔦重に「そもそも吉原は得手勝手に色を売り危ない目にあう女が多かったゆえ」と言わせました。これは、好き放題に身体を売る女たちが路頭に迷うから、吉原を作ってやったかのような主人公の武勇伝として扱われています。


現実には、遊女が自ら売っていたのは大きな間違いであり、当時の女性には人権すらなく女子児童も含む人身売買中心地が吉原でした。現代の視点から見れば蔦重は、人身売買の斡旋者であり犯罪者です。


現在、性売買は違法にもかかわらず、場所を変え政府黙認で行われています。

なお、吉原の総霊塔には「生まれては苦界、死しては浄閑寺」と刻まれています。



 

2025年3月18日、誤字があり「苦海」→「苦界」に変更しました。

Commentaires


Les commentaires ont été désactivés.
bottom of page